この頃は、世の中全体が人間の成熟を否定し、その価値観を拒否する風潮が当
たり前の様に成って来たけれど、それってどうなんだろう。
真の意味で大人に要求される事は、得てして責任であったり、他に対しての情と
理の高い位置でのバランスで有ったりする。
平成の御代の今、果たして本当の意味での大人はどれだけ居るのか?
都合のいい意味で大人と言う言葉を使っている連中は多い。
よく20歳過ぎた自称アーチストの芸能人なんかが、よく大人は『ずるい』とか
『汚い』なんて発言することで、精神的に幼い坊ちゃん譲ちゃんの仲間の振りを
し、金儲けに成功する。汚くてずるい素質を持つ奴ほど、このパターンと、その
応用の、子供騙しをよく使う。同じ様な手口は、文化人気取りの連中にもよく見
受けられる。この場合では、大人の代わりに『権力』『組織』と言った言葉を使
い、子供の代わりに『真実』『正義』などと言う言葉を使う。
いたいけなく信じているとろくな事は無い。大体はやられっぱなしだ。
大人がずるかったら、子供は何だろう?
それは残酷さ。子供の純粋さは教育的誘導が無いと善悪両方に同じ純粋さを発
揮する。
子供の遊びは残酷だ。ただ面白いというだけで、蝶の足を平気で毟ったり
、蛙の口に爆竹を挟んで爆発させたりする様な事も平気だ。
それが、幼さや純粋さをまとうと、大人から観て残酷なこういった遊びも、たわ
いもなく見えてしまう。
しかし、大人の行動の結果は、責任や情理の結果であり、子供の至らなさは教
育によって、残酷さも、分別の無い純粋さも、矯正が出来る。
ある意味で言うと、本当の大人は強敵でないし、本物の子供には問題は無い。
だが、ここで問題なのは、いつまでも子供っぽいと言われるよう演技し、自分の
成熟を誤摩化す連中。人間は肉体的な成熟と、生活経験年数によって否応
でも無意識に成長し老成する。大人に成れば分別の無い純粋さは否定される
し、行き過ぎた残酷さは避難されるはずだが,,,,,,,,,。
こういった連中は、社会に多く居て、幼さや純粋さをまとって、やりたい放題の
迷惑を人に掛け、言いたい放題の放言を垂れ、何故か認められ注目される。
分別の無さは純粋さと勘違いされるし、行き過ぎた残酷さは恐れられる。
そして、得てして事なかれ主義の日本社会に風穴を開け、色んな分野で革新の
風を起こす。
社会に居る本当の強敵は、こういう風な赤ずきんを巧妙にまとったオオカミで
ある。
本物の赤ずきんちゃん!!
並びに、演技が下手で、お宅がばれた赤ずきんちゃん、気をつけてね!
(そこの2chの君!お前だよ!!)
大人って汚い!大人って狡い!
(あっ、俺も大人ヤンケ!バレない様に気ーつけよ、金もーけせなあかんもんね?)
なに、なに?そのオオカミって、お前の事だろうって?
そう、君だけには、俺の本当のスッポンポンが観られちゃったかもね…….。!?
でも、最高のストリップのコツって何か知ってる?
脱ぐふりだけで、実は何も脱いでないんだよ?って言うのが頭のいいやり方。
でも、今回はちょっと脱ぎすぎたかも????。
チョットダケヨ?ってね!
(私は自分が怖い!!ナーンチャッテ)