2009-3-30 Monday

檄  若者よ立ち上がれ !!

Filed under: 前田日明ブログ — Maeda Akira @ am 3:48

天下布武

織田信長が戦国の世に終止符を打つべく天下統一事業に着手し、その決意を
打ち出した時に使われた有名な言葉である。
現代的な多くの解釈は、『武家の政権を以て天下を支配する』という単純な
解釈で終わっているがそうではない。
織田信長が本当に言いたかったのは、『武の七徳を以て天下の正名を問う』
と言う事ではないだろうか。
ここで言う、武の七徳とは、
暴を禁じ(暴力を禁じ)、兵を止め(戦いを止め)、大を保ち(民衆の支持を
得)、功を定め(賞罰を正し)、民を安じ(太平を実現し)、衆を和し(争いを
予防し)、財を豊かにする(貧困の無い世の中の実現)。
又、正名を正すとは、
中国の春秋戦国時代に盛行し名実論ともいわれ、名称と実質との一致を
志向する思想である。
政治の急務は名を正す事に有りと。
それが証拠に、信長が正親町天皇に働きかけて改元した年号である
『天正』の意味を考えると、正に天下の正名を問うと言う決意がこの元号に
表現されている。
又、美濃攻略後に五山僧である沢彦宗恩の意見をいれ、岐阜城の地である
井の口を『岐阜』と改名した。
岐阜の命名は中国の周の文王(後世、聖王と崇められ、為政者の手本となっ
た)の故事『周の文王、岐山より起こり、天下を定む』とある様に、岐山(ぎざ
ん)に拠って天下を臨んだ事にちなんでおり、信長の志が窺われる。
信長は周の聖王を理想とし様々な改革に乗り出した。(岐阜の阜は丘の意味)

戦国時代、日本国内の様々な社会規範は崩壊していた。
比叡山焼き討ちは、後世、信長の残虐性を現す行動として名高いが、当時の
比叡山は僧兵等の武力を背景に、女犯、妾、稚児(少年愛)だけならず、巨大
な金貸業を展開し、独自に酒造業者に税を課し、政治にまで口出しすると言う
様に、宗教者としての本分を忘れ、荒廃は極みを呈していた。
一向宗に対する迫害も、信長側から見れば、
仏に仕える身で在りながら出家者の女犯を平然と肯定し、悪人の正機説を宗
旨し、宗徒をも軍事に駆出す。そこには世の秩序を乱しても自らの利益を守ろう
とする犯罪者集団にしか見えなかったのだ。

残虐性だけが問われる信長だが、すべては彼の持つ青年の様な純粋な理想の
実現から来たものではないだろうか。

現代の戦国時代に生きる気概に溢れる若者よ、立ち上がれ。
そして信長の様に、この世にあるすべての物の正名を正せ !

2009-3-26 Thursday

Filed under: 前田日明ブログ — Maeda Akira @ pm 2:08

曰く、『臣にして其の君を弑(しい)するは可成らんかと。』
曰く、『仁を賊(そこ)なう者は、之を賊(ぞく)といい、義を賊なう者は
、之を残と言う。残賊の人は之を一夫と言う。一夫の紂(ちゅう)を誅
せるを聞くも、未だ君を弑するを聞かざるなり。』
(『孟子』梁恵王下編)

昔、戦国時代を現す言葉に「下克上」と言う言葉が有った。
臣下が私的な野望を実現する為に、君主を裏切りによって滅ぼし成り
代わる泥棒行為だと、世間一般には認知されている。
それは、無秩序な乱世の象徴的な言葉として使われた。

しかし、戦国時代が始まろうとする室町時代中期に入って来た
孟子の思想の中に、
仁を破壊する者は賊と呼ばれ、義を破壊する者は残と呼ばれる。
残賊なる人間は、たとえ何様であろうと、卑しい者に過ぎない。
従って、君主が残賊であれば、臣下が滅ぼし成り代わるのは当然である。
と言う思想、つまり孟子の革命思想がこの時代に日本に入って来たのだ。

度重なる戦乱の中、孟子の思想を背景に立ち上がった戦国武士達は、
新しい価値観のもと、正義を実現する為に、文字どうり存亡を懸けて自分の名
を挙げようと行動した。
下克上の背景には、己の信じる正義が有ったのだ。

今の日本は、資質のいかんに捕われず、何の挫折も知らない大馬鹿者共が、
政治、経済、教育、マスメディアを操り、社会は混乱の極みに達している。
こんな時代だからこそ、社会そのものが下克上を待っている。
混沌とした時代には、大きなチャンスが眠っているのだ。

挫折の中に居る奴らよ、立ち上がれ。
蹉跌の中で自分を捨てなかった奴らよ、行動しろ。
世の中、こんなにチョロい奴らが幅を利かせている。
お前達が主役の下克上の世界を見せつけてやれ。
お前達の本当の人生はここから始まるのだ。

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