檄 若者よ立ち上がれ !!
天下布武
織田信長が戦国の世に終止符を打つべく天下統一事業に着手し、その決意を
打ち出した時に使われた有名な言葉である。
現代的な多くの解釈は、『武家の政権を以て天下を支配する』という単純な
解釈で終わっているがそうではない。
織田信長が本当に言いたかったのは、『武の七徳を以て天下の正名を問う』
と言う事ではないだろうか。
ここで言う、武の七徳とは、
暴を禁じ(暴力を禁じ)、兵を止め(戦いを止め)、大を保ち(民衆の支持を
得)、功を定め(賞罰を正し)、民を安じ(太平を実現し)、衆を和し(争いを
予防し)、財を豊かにする(貧困の無い世の中の実現)。
又、正名を正すとは、
中国の春秋戦国時代に盛行し名実論ともいわれ、名称と実質との一致を
志向する思想である。
政治の急務は名を正す事に有りと。
それが証拠に、信長が正親町天皇に働きかけて改元した年号である
『天正』の意味を考えると、正に天下の正名を問うと言う決意がこの元号に
表現されている。
又、美濃攻略後に五山僧である沢彦宗恩の意見をいれ、岐阜城の地である
井の口を『岐阜』と改名した。
岐阜の命名は中国の周の文王(後世、聖王と崇められ、為政者の手本となっ
た)の故事『周の文王、岐山より起こり、天下を定む』とある様に、岐山(ぎざ
ん)に拠って天下を臨んだ事にちなんでおり、信長の志が窺われる。
信長は周の聖王を理想とし様々な改革に乗り出した。(岐阜の阜は丘の意味)
戦国時代、日本国内の様々な社会規範は崩壊していた。
比叡山焼き討ちは、後世、信長の残虐性を現す行動として名高いが、当時の
比叡山は僧兵等の武力を背景に、女犯、妾、稚児(少年愛)だけならず、巨大
な金貸業を展開し、独自に酒造業者に税を課し、政治にまで口出しすると言う
様に、宗教者としての本分を忘れ、荒廃は極みを呈していた。
一向宗に対する迫害も、信長側から見れば、
仏に仕える身で在りながら出家者の女犯を平然と肯定し、悪人の正機説を宗
旨し、宗徒をも軍事に駆出す。そこには世の秩序を乱しても自らの利益を守ろう
とする犯罪者集団にしか見えなかったのだ。
残虐性だけが問われる信長だが、すべては彼の持つ青年の様な純粋な理想の
実現から来たものではないだろうか。
現代の戦国時代に生きる気概に溢れる若者よ、立ち上がれ。
そして信長の様に、この世にあるすべての物の正名を正せ !
TrackBack URL :
Comments (27)